2020年11月22日日曜日

自分の気持ちはどこにあるのだろうか

ここにはいろいろ技術っぽいことを書きたいんですが、

大したことができる者じゃないのでネタがなくて、

ついったーに書くとちょっと重いかなってことを書く場所になってます。


タイトルの件ですが、今年になって祖父と祖母が亡くなりました。

父方の祖母は僕が小さい頃に亡くなって記憶がありませんが、

中学生のときに、同居していた父方の祖父も肺がんからの脳転移で亡くなりました。

このおじいちゃんは亡くなる半年前にはとても元気で、

原付バイクや自転車で畑に出かけたり、自治会の役回りをこなしていました。

持病はそれなりにあったようでよく病院へ行って薬を飲んだりしていましたが、それでも元気だよなぁと思っていました。

ある日、確かテスト期間中かなにかで早く帰ってきた日だった記憶があります。

母に「おじいちゃんがバイクで転んで入院した。」と聞かされました。

えっ、怪我とか…と聞いたら、交差点で停止してたところからだから、怪我はどうも大したことはないと言います。

ああなんだよかった…。と思いましたが、どうもそんなかんたんな話じゃない様子。

おじいちゃん、最近様子がおかしくて、この前も洗濯機が壊れてる!って言うので見に行ったら普通に使えるのよ。いろいろわからなくなってしまっているのかもしれない…と言うのです。

僕は毎日会っていましたがそんなこと気づきもしませんでした。このときかなりのショックを受けました。

病院ではおそらく転倒後なので、頭を打っていないかCTスキャンなどをしたのだと思うのですが、その日に元々患っていた肺がんの脳転移がわかりました。


高齢で進行も早くないためか、体調自体は落ち着いているようですぐに退院し、薬物や放射線治療をしながらも、自宅で療養することになりました。

脳腫瘍になった祖父はぼーっと座っていることが多く、時々口を開くと、

「今日は一日中真っ暗な日だなぁ」『ううん、もう夜になったんだよ』

なんて話をするくらい。次第に孫の顔も定かではなくなっていたように思います。

ある日祖父は「俺はぁ馬鹿になってしまったんだ」と言いました。

もう今までのおじいちゃんとは違う人になってしまったみたいだったけど、

自分でもわかっているんだ。と思いこのときは泣きました。


それからはだんだんと衰弱していき、もともと患っていた肺がんも相まり、入院して酸素マスクが必須になりました。

だんだんと壊れていく祖父を見て、いつどうなってもおかしくないという覚悟ができていました。


祖父は雪が吹雪いているとても寒い日の未明に亡くなりました。

覚悟はできていたからか、葬儀では棺桶に入った祖父を見ても涙は出ませんでしたが、

あまり感情を出さない父が涙を浮かべているのを見てはじめて僕も少し目が潤みました。


はい、相変わらず主題へたどり着くまでのエピソードが長いのですが、

身内の死に直面して、もう死んでしまうことがわかっていたから正直なところあまり何も感じなかった僕。

父の涙を見て初めて心が動かされました。父の悲しみに共感したわけですね。

では僕の気持ちは?なぜそれほど悲しく感じないのだろう。中2でそれだけ死にたいして割り切れる覚悟が決まっているものなの?

と時々振り返って考えるのです。


冒頭に書きましたが、母方の祖父母も今年に入って亡くなってしまいました。

僕が大学生のときまではふたりとも、足腰の不具合や持病もありながらそれなりに元気そうに過ごしていました。

ここ2,3年の間に急に倒れて入院したり、半分寝たきりのような生活になってきて、次第に認知能力も衰えてきました。

僕が年に数回会いに行くと、誰だかわかっているのか微妙な感じでした。

この期間で僕は、父方の祖父に抱いていたのと同じような覚悟をしていたのだと思います。

今年に入って、ふたりとも入院して寝たきりの生活をしているのを聞かされて、いつどうなってもおかしくないのだなと考えていました。


夏に祖父が亡くなり、後を追うように秋になって祖母も他界しました。

祖母は、亡くなるまで祖父が亡くなったことを知らなかったようです。

意識がしっかりとしている日もときどきはあったようですが、ぼんやりとしてなかなか会話になる状況でもなかったようですし、たしかにそのほうが良かったと思います。

二人が亡くなったことを知ったとき、やはり涙は出ませんでした。

コロナ禍の関係で、葬儀場が遠方からの参列を断っていたため、葬儀には出ていません。

葬儀が終わったあと掛かってきた電話で母がしみじみと話すのを聞いて少し目がうるみました。

それで、自分の中ではなぜあまり悲しくなれないんだろう。覚悟はできていたとはいえ、

あれだけかわいがってくれたじいちゃんばあちゃんにもう会えないのに。

と思ったのでした。


そんな中、今年に入ってから、ひだまりスケッチやヴァイオレット・エヴァーガーデンを見てガチ泣きしたりしています

ひだまりスケッチなんて泣く要素あるか?って気もしますがキャラクターに感情移入しすぎてこんな辛いときに優しいこと言ってくれる…いいヤツすぎる…みたいなシーンが多すぎて。


さて、これらの違いはなんなんだろうと、さすがにサイコパス的ななにかなんじゃないかと少し悩んでいました。考えていて、ここまで書いてあったことからもわかりそうですが、

自分の気持ちというより、他人の気持ちに心を動かされるほうが強いのかもしれないという結論になってきました。

アニメを見たり漫画を読んで感情的になるのは、キャラクターに感情移入しているからで、

家族が亡くなって親が悲しんでいるのを見てやはり感情移入して心を動かされているのだなと。


では自分の気持ちはどこにあるのだろう?とまた悩みます。

ずっと考えていたら、僕が祖父母と過ごして別れるまで、一番悲しかった瞬間は

亡くなった瞬間ではなくて、バイクで転んだ。どうも認知症の症状があるのではないかと聞いた瞬間や、

最近寒暖差が激しいからか、廊下で転んで以来横になってばかりになってしまったと聞いた瞬間なのだと思いました。

当たり前だった日常が壊れた瞬間が一番辛かったと思います。

これを言うとどうかと思われるかもしれませんが、正直なところ、声をかけても理解されない状態になってしまうとすでにそれまでいた家族は亡くなったのと同じで、やっぱりその時点が一番辛くて悲しいのだと思うのですよ。


ということは、たまたま家族が亡くなった瞬間にはあまり何も感じなかったけど、それなりに僕の気持ちというのはその時々には存在していて、その上で他人にも深く共感し感情移入しがちなのだなと自分の中で整理をつけたのでした。

帰り道とか自転車を漕ぎながらずっと考えてましたよ。

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