2019年5月1日水曜日

大学生の思い出(長文でうつなので読まなくてもよい)

すきあらば自分語りです。すみません。

1年少し前まで大学生だったんですよ。
はじめての一人暮らしとか、いろいろとはじめての体験ができたと思います。
そんな中で大学生活で一番つらかった時期について書きます。
今つらいなーという学生に読んでもらえばいいんじゃないのと思いますが、
つらさは十人十色なので参考とかじゃなくどこかで共感してもらえばと思います。

某工学部の学生だった2年生になる春休み、学生のうちに自動車免許は取っておきなさい
と大学で言われて、まあ地元に戻ったら確実に必要だしなと思って自動車学校に通い始めました。
はじめは運転の姿勢の感覚を掴むだけの模型みたいなやつに座らされてハンドルの回し方なんかをやりましたね。その後学科の授業や、構内での運転練習と
春休み中アルバイトと自動車学校で、だらだら過ごさずちょうどいいくらいのスケジュールで過ごしていました。

その時期やっていたアルバイト先では、バイトリーダーみたいな立場だったフリーターの厳しい先輩がいて、
自分ができることをなんでできないのかわからないみたいな感じで、本当に意味がわからない。作業を覚える気があるのか?真剣にやっていないのではないか?というような内容で、
同じようなミスを何度もしている僕をとても厳しくご指導いただいていました。

自分は要領が悪く、口で言われたことを体の動きに変換できないので(それで体育の授業で先生にもイライラされていました)
自動車学校も順調にいくはずもなく、マニュアル免許コースだったのでエンストはしはまくり、狭い構内のコースではなかなかギアも上げられない。
仮免で路上に出るまでにとても時間を費やしていたと思います。
何度もオートマにせんか?と教官に言われていました。
今思うとそこで別にオートマにしておけばよかったような気もしますが。。
授業は半年とか1年?っていう期間内だったら無限にやり直せるため、
サクサク進むよりもとを取ったとも言えますが、
周りは高校を卒業したばかりの年下の子がサクサクとこなしているのを見て
あーやっぱり自分はなんにもできないんだなぁみたいなふうに考えて帰り道いつも落ち込んでいました。

この時点でメンタルが崩壊するのは当たり前のことですね…。
どちらかというと完全に鬱とか適応障害みたいな感じだったのですが、
当時ネットで発達障害テストみたいなものをやっては90%当てはまりますみたいな結果で、
2chの未診断スレとかを毎日ROMってはとりあえず病院いけっていうレスばっかりでそうかぁ心療内科いくかぁと意を決して手を震わせながら電話予約しました。

よく覚えているのですが、桜が満開の晴れた日、自動車学校の帰りに駅前の心療内科へ行きました。
電話予約の段階ではどういう相談ですかとか何も聞かれなかったので、中に通されてはじめて相談が開始しました。

いきなり発達障害なんじゃとかADHDなのではとかいうとあーネットでそういうの流行ってるからねーwみたいなリアクションになりそうで嫌だなという謎のプライドから、
具体的な名称は言わずに、普通に相談として話し始めました。
バイト先でポンコツすぎてどうしたらいいかっていう話が主だったと思います。
大学で単位は取れているのかとか、
小学生のころとかどんな感じだった?っていうふうに聞かれて、
当時まだ単位落としまくるフェーズになる前だったので今の所は…と、
それっぽいエピソード、ランドセル忘れてそのまま学校行きそうになるとかそんな感じの話をしたら、
そういうパターンだとADD 注意欠陥障害の「傾向がある」感じ
それでも働けて単位も取れてるし、すごく軽度ですよ
薬で改善することもできるけど、僕さんくらい軽度な場合は薬とかよりも、行動療法で困らなくしていくほうが健全と言ってくれました。
自転車乗るのが趣味と言ったら、一定のペースで同じ動きをし続けるとドーパミンが出るからそれはいいよとか、ものをなくさないようにしたければ絶対必要なものだけでも置く場所を決めるとかまあなんかそんな感じで。

なるほど、とその瞬間は、ネットで書き込んでる人ほど大変ではないんだなーと、
相談前の緊張からの離脱とかも含めて、開放感を感じながらありがとうございましたと帰りました。
何も解決はしてないんですがw

余談ながら、心療内科に電話予約ってかなりハードルが高いような感じがするのですが、
この経験からつらいタイミングでこれができたことから病院に一人で行くこと全般が得意になりました。w

それから、新学期がはじまり、当然自動車学校を卒業しているはずもなく、授業がない曜日に自動車学校へ行って、夜はアルバイトへ行ってなど忙しく過ごしていました。
相変わらずアルバイト先ではポンコツで怒られているし、
自動車学校でもなんで言われたことができないの?もう大人でしょ?とか言われたりしながら過ごしました。

このとき、これが何にも守られていない状態の本来の僕のフルスペックで、
自分は本当に何もできないんだ。この先どうすることもできないのかもしれないと思っていました。

学校では持ち物や宿題を持ってくるのを忘れたり、教室を間違えて遅刻したり、
重要な授業回を寝過ごして行かなかったり、そんな日々でした。
大学生活で一番単位を落としたのがこの時期だったと思います。

そんな中でも、メンタルが弱いのか強いのかわからない僕は自動車学校の卒検までこぎつけ、一発で合格し、学校は夏休みを迎えました。何ヶ月自動車学校に通ったんでしょうね。
まあ2ヶ月学校の宿題なんかが忙しくて放置していたみたいな期間もあったので、実際は毎日通って2ヶ月くらいの回数だったのではないかなとは思います。

夏休みに入り、免許センターへ行って自動車免許を無事取得しました。
学科の試験は模試でも落ちたことが一度もないくらい得意だったのでなんともありませんでした。

夏休み、厳しい先輩にスケジュール表を見て悪態をつかれながら3週間くらいアルバイトを休み、実家まで自転車で帰る旅をやりました。
深夜に出発して、240kmくらい走り、夕方になってあと60kmくらいのところで自転車が壊れて、結局親に迎えに来てもらいました。

あとの期間は実家でだらだらしていました。このタイミングで精神的健康を取り戻そうと思っていました。

大学がある街へ帰ると状況は同じで、相変わらずポンコツで怒られては凹んでいました。
そのままのメンタルで2年生が終わります。
学期末に単位の取得状況の件で呼び出されました。知ってる人とはべらべらと喋る人なので、来年度がんばります!はははと軽く答えたような気がします。

そして3年生を迎えます。単位足りずに進級できなかったらどうしようと思ったら結構ギリギリながら進級できていてほっとしましたが、たくさん授業があって忙しいです。
近所に高待遇のアルバイトを募集している外資系大型店舗ができて、しかも前年度卒業の学生が数人卒業して退職してしまったため、全然店員が集まっていませんでしたが、シフトの回数をなんとか減らしてもらいやりくりしました。
(今思うとそんなの関係ねえ!ってブッチしとけよくらいの話ですよね。ただ気が小さいので。辞めたいという相談は何度かしていましたが、なかなか食い下がられると。。)
この頃が一番真剣に勉強した期間で、授業の専門性も上がったため、今も役に立てている知識がたくさん頭に入った時期でした。

この年、アルバイト先の店員がかなり流動的で、入ってきては怖い先輩に厳しいことを言われてすぐに辞めてしまう人や、すごい年上のおじさんが入ってきて僕が先輩になってきたりしていました。
そんな中、怖い先輩が別のアルバイトをはじめていて、だんだんとそちらがメインになり、アルバイト先に顔を見せなくなりました。
気がつくと先輩の学生アルバイターは卒業していなくなっていて、僕が一番長くやっている人に…。
店長に、人に教える立場になるからちゃんとできるようにならないとななんて無責任なことを言われたりしながらも、ある意味羽根を伸ばして自分のペースで働けるようになりました。
チェーン店なのでマニュアル厳守が必須ですが、融通がきく部分や、やり直しがきくところで鬼の首を取ったかのように指摘されることがなく、快適に仕事ができるようになりました。

一方、学校の授業はほぼフルに授業が入っていて、とても忙しく、自分の低い能力ではレポートや試験の勉強が追いつかず今度はこちらでつらい思いをしていました。
みんなはこなしているのに、やっぱり自分は能力が足りないんだと別のところで落ち込みはじめました。
土日に宿題をやるためにアルバイトをなくしてもらっていても、寝て、Twitterやニコニコ動画を見ていたら終わってしまい、月曜日に入ってすぐの深夜に月曜日分の宿題をやるというクソみたいな日々。

そんな日々を過ごしながら、もうすぐ学期末、夏休み前の試験…というタイミングで事件がおきました。
これから手書きでA4レポート用紙20枚以上を書かなくてはいけないという徹夜覚悟のアルバイト開け。
大好きな松屋でバイト先のおじさんとご飯を食べて帰る途中、歩道に歩いている女性がいたので、自転車で歩道を下りて車道に移りました。
ハンドルに手のひらをのせただけの状態で、車道上の段差にさしかかりました。
段差にハンドルを取られて、手はするっとグリップから離れ、左足だけで地面に着地。

ズキッという強烈な痛みを感じながら、道路の真ん中なので急いで閉店後のドラッグストアの駐車場に移動。10分くらいうずくまっていました。
そのうち痛みがひいて、レポートを書かないと!と思って腫れてとても重くなった左足も使いながら自転車を漕いで帰宅しました。
まともな歩き方ができなくなっていますが、無事レポートを書き終え、提出。
明らかにヤバいので昼休みに整形外科へ。
レントゲンを撮ると、骨折していると言われます。

まずしたのがバイト先に電話。今日はいけそうもないと。律儀ですね。
それから実家に電話。手術になりそうだと。

週末だったので、休日を挟んで翌週入院生活がスタートしました。
一泊して、翌日から手術だといいます。
手術が終わったあとは安静とリハビリのための入院。
この入院に救われました。

入院前は期末試験のことしか頭になくて、一刻も早く退院しなければ!と思って、術後何日で退院できますか?というのが主治医に聞いた最初の質問でした。

しかし、入院してみると、看護師さんが天使のよう。
怪我人なのでやたらに優しくしてくれます。
アルバイト先の同僚や学校の先生とは大違い。
痛みはどうですか?困ったことはありませんか?と気遣ってくれるし(当たり前かもだけど)
試験のために参考書を読んでいると、難しい本読んでてすごいですねー
とか褒めてくれる。大学に行ったらみんなやってる当たり前のことなのに!褒めてくれる!
結局2週間くらい入院しましたが、その中で本当に救われました。
人にやさしくしてもらうことでメンタルがとても回復しました。
そのまま2ヶ月程度は杖を欠かせない生活で、アルバイトに戻ることはできないと告げてそのまま退職。
期末試験にも間に合い、松葉杖をつきながら大学に行って、なんとか単位も取りました。

この1,2年間は、感情の起伏が大変でしたが自分と向き合うことができた期間でした。
教訓としては、
友達がいなくても心療内科ならお金払えば相談できる(解決するとは言ってない)
否定され続けるとメンタルを病む
メンタルを病むと何をやってもうまくいかない
荒療治的に不向きなことをやり続けるのは危険
つらいときは全部ブッチして優しい世界へ逃げるのが最強

みたいなところだと思います。
たしかに僕はADDなんじゃないかと思いますが、どちらかというとそれよりも、
あの頃はうつとか適応障害みたいな感じだったと思っています。

僕は実はポンコツじゃなかった!という話ではなく、実際ポンコツです
不向きなことをやればよりポンコツになりますし、怒られると本当に萎縮してポンコツになります。
人間程度の差はあれど少しはそういうものだと思います。
なので人に対してはなるべく優しく接したいと思いますし、自分もそうされたいです。